アンリ・カルティエ=ブレッソンの名言

Henri Cartier-Bresson(アンリ・カルティエ=ブレッソン - 1908.822 - 2004.8.3)は、20世紀を代表する写真家。レンジファインダーカメラ「ライカM3」を駆使し、現実世界を幾何学的に美しい構図で捉えたスナップ写真をたくさん撮った。1947年にロバート・キャパ、デヴィッド・シーモア、ジョージ・ロジャーと共に写真家集団「マグナム・フォト」を結成した人物でもある。




ライカは私の目の延長です、
このカメラがなかったら写真はやらなかったでしょう

ファインダー倍率が0.93倍と、ほぼ等倍で、
肉眼で見えている光景に近い感覚でフレーミングできる
ライカM3の光学ファインダーへの愛がよく現れた言葉ですね。


日本の酒が何でもない口あたりでうまい、あの感じだ。
ライカのレンズの味なんてものは、
酒の好きな男でなければ、わからんと思うよ。

私は酒が苦手なのでよくわからないのですが、
ライカのレンズを指して「何でもないのに美味い」の感覚は
すごく良く理解できます。


私にとってカメラは、スケッチブックであり、
直観と自発性の操る道具であり、
そして視覚的な意味において、
質問を投げかけると同時に決定をくだす、
瞬間の支配者である。

これは要するに、
カメラは現実の中にある自分が気持ちイイと感じる瞬間を
捉える道具であるということですね。


私は写真自体には興味はない。
ただ現実の中の一瞬間を捕らえたいだけである。

これは、シャッターチャンスを捉える行為そのものが好きで、
結果的に残される写真には興味が無いということですが、
その瞬間を捉えたかどうかは写真になって初めて分かるものなので、
「興味が無い」というのは少々屁理屈っぽいですね。



写真の内容を補強するものはリズム感、つまり、
形とその価値の関係性である。

幾何学ですね。


私に関して言えば、写真の撮影は理解の手段であり、
他の視覚的表現手段と切り離すことはできません。
それは叫んだり、自分を解放するのと同じで、
自分の独自性を証明したり断言する手段ではありません。
それは生き方なのです。

息を吐いて吸うのと同じレベルで、
写真を撮影しているんでしょうね。


写真を撮るということは息を止めるということである、
そのとき撮影者はつかの間の現実を捕らえるために全精力を傾ける。
撮影が身体的、知的な喜びになるのはまさにその瞬間だ。

シャッターを切る瞬間が本当に好きなんですね。


写真家は絶えず消えてなくなってゆくものを扱う。
消滅してしまえば、再びそれを取り戻す手段はこの世界には何もないのだ。

刹那的で美しい瞬間を追うのが写真家ですね。


記憶は非常に重要です、写真が撮られたときの記憶、
それはそこで起きた出来事と同じスピードで流れているのです。
撮影中は小さなミスも犯さず、すべてをうまく捕らえるよう
細心の注意を払いなさい。なぜなら後になってから後悔しても遅いのです。

決定的瞬間を追い続けた人の話は
やっぱり瞬間についての話が多いですね。


写真はその誕生以来、技術面を除いてはなにも変わっていない。
そして私には技術的なことは重要ではない。

重要なのは、”その瞬間に”出会うための準備ということですね。


思考は撮影の前後に行われるべきもので、撮影中ではない。
成功するか否かはその人の一般教養にかかっている。
その人の価値観、明晰な頭脳、活気。
もっとも恐るべきは人工的に不自然なものである、
それは生命と相対するものだ。

”その瞬間に出会えるか”はその人の人生次第で、
”その瞬間を捉えられるか”はその人の決定力次第ということですね。


 

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